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広重「東海道五十三次」の版の見分け方保永堂版・隷書東海道・行書東海道・竪絵東海道

歌川広重の「東海道五十三次」は一つの揃物ではなく、版元と形の違う揃物が何種類もあります。1914年に山岳文学者で浮世絵研究家の小島烏水が整理した記述をもとに、題字・絵の向き・版元・改印から版を見分ける手順と、査定で何を見るかをまとめました。

公開:2026年11月3日 / 文:版画買取.com 査定担当

結論

広重の東海道で最も評価が高いのは、霊岸島の絵草紙屋・竹内保永堂の注文で作られた保永堂版(横絵55枚、天保5年=1834年頃)です。次いで題の「東海道」が隷書の丸清板(隷書東海道、天保13年以後)、「東海道五十三次」が行書風で中判の江崎板(行書東海道)が続きます。縦長の蔦屋板「東海道五十三次名所図会」(竪絵東海道)は晩年の作で、現存数が最も多い版です。お手元の作品は、絵の向き・題字の書体・判型・版元印の4点でどの版かを分け、そのうえで初摺か後摺か、改刻や復刻でないかを見ます。

どの版か分からなくても、写真で判定します

絵の全体と、題字・版元印・改印のある隅の写真を送っていただければ、どの版か、初摺に近いか、買取の目安を査定担当が確認してお返事します。額に入ったままでも構いません。

査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。

資料について

出典は、小島烏水『浮世絵と風景画』(前川文栄閣、1914年)の「東海道五十三次」「木曾街道六十九次」の章と、巻末の「広重作品板元一覧」です。小島烏水(1873–1948)は山岳文学者として知られ、浮世絵の風景版画を集めて研究した人物です。 原本は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます(68〜72コマ、板元一覧は276〜278コマ)。烏水の著作は日本では著作権の保護期間が満了しています。 本記事は烏水が1914年時点で書いた観察をもとにしており、その後の研究で細かい点が見直されている場合があります。

広重の東海道の版 早見表

烏水が本文と板元一覧で挙げた東海道の揃物を、見分けの手がかりとともに並べました。「烏水の評価」は1914年時点の烏水の意見です。

通称版元形見分けの手がかり時期の手がかり烏水の評価
保永堂版竹内保永堂(霊岸島)横絵55枚横長の画面。広重の東海道の最初の揃物完結は天保5年(1834)と一般に信じられている。烏水も天保5年説を支持第一。最も傑出した大作
隷書東海道丸清横絵題の「東海道」の三字が隷書。線が保永堂版より細く、遠山の樹木まで細かく尖る検閲官吏の押印(改印)があるため天保13年(1842)以後第二。佳作
行書東海道江崎屋中判(中板東海道とも)題「東海道五十三次」が行書風の字体記載なし第三
東海道五十三次名所図会(竪絵東海道)蔦屋(蔦屋吉蔵、南伝馬町)立絵(縦長)縦長の画面晩年の作今日最も多く流布。佳作を探すのに骨が折れる
三枚続の東海道藤慶ほか三枚続の立絵美人が主で、風景はあしらい。例:大井川歩行渡(藤慶板)大井川歩行渡は嘉永6年(1853)気品があり卑俗でない
双筆東海道五十三次記載なし立絵三代豊国との合作。上半分が広重の風景、下半分が豊国の人物記載なし二人の画風が合わず不調和
東海道五十三次細見図会村鉄記載なし広重が得意の草筆(略筆)で旅の人物を描く記載なし記載なし

烏水は「広重と言えばすぐ東海道と言いたくなるほど密接な関係がある」と書き、東海道は広重が新しい芸術の種をまいた土壌だと位置づけています。 版元の名は、烏水が巻末に付けた「広重作品板元一覧」から取りました。版元印そのものの読み方は落款・印章から作家を調べる方法で解説しています。

保永堂版:最初の作で、改刻版が交じる

烏水によれば、保永堂版は、広重がまだ風景画家として名をなす前、初代豊国の役者絵や美人画が流行していて自然の写生画が顧みられなかった時期に、霊岸島の絵草紙屋・竹内保永堂の注文で描き出した横絵55枚の揃物です。 出版が完結した時期は一般に天保5年(1834)と信じられており(烏水はハッパー氏の目録に拠ると書いています)、写本『浮世絵師系伝』には文政頃とする記述もありますが、烏水は広重が天保元年に初めて東海道を旅したことなどから天保5年説を採っています。天保5年とすれば広重は39歳で、北斎が『富嶽百景』初編を出したのと同じ年にあたります。

査定で重要なのは、烏水が1914年の時点で「保永堂板の中には、全然改刻した別の画面が後には交っている」と注記していることです。つまり保永堂の版元印があっても、最初の版木で摺られたものとは限りません。 当店では、線の太さと硬さ、色の重なり方、紙の状態を見て、初摺に近いか、改刻版か、明治以降の復刻かを判断します。見方は浮世絵の見分け方(本物・後摺・復刻・印刷)にまとめています。

隷書東海道と行書東海道:題字の書体で分ける

保永堂版の次に烏水が佳作とするのが、俗に隷書東海道と呼ばれる丸清板です。題の「東海道」の三字が隷書で書かれているのが名の由来です。 烏水はこの版に検閲官吏の押印、つまり改印があることから、少なくとも天保13年(1842)以後の作だと確言しています。画風は保永堂版より運筆が繊細で敏感になり、遠山の樹木まで細かく尖って描かれ、ところによっては別人の手が入ったような感じがすると烏水は見ています。

三番目に推すのが行書東海道(江崎板)です。題の「東海道五十三次」が行書風の字体で書かれ、中判であることから中板東海道とも呼ばれます。 題字の書体は、額に入ったままでも写真で確認できる手がかりです。隷書か行書かが分かれば、版元と時期の見当がつきます。

竪絵東海道と三枚続:現存数が多い版

縦長の画面で描かれた「東海道五十三次名所図会」(蔦屋板、立絵)は広重晩年の作で、烏水は「今日最も多く世に流布している」と書いています。現存数が多いぶん、市場でよく見かける版です。 烏水自身の評価は厳しく、この中から佳作を求めるには骨が折れる、としています。

三枚続の東海道は、風景はあしらいに過ぎず、多くは美人を主にしたものです。烏水が例に挙げる「大井川歩行渡」(藤慶板、嘉永6年=1853年、三枚続の立絵)は、蓮台渡しや肩車で川を渡る美人を正面に大きく描き、大名駕籠や馬印は遠くに退けています。 烏水は、歌川国直の同じ大井川の三枚続と比べて、広重の人足の表情は自然でユーモラスであり、少しも卑俗な気味がないと評しています。 三代豊国との合作「双筆東海道五十三次」は、一枚の立絵を上下に分け、上に広重の風景、下に豊国の人物を描いたもので、烏水は二人の画風が異なるため不調和だと見ています。

木曾街道六十九次:番号の重複と欠番

東海道と対になる「木曾街道六十九次」は、烏水によれば一種しかなく、横絵70枚のうち広重が47枚、渓斎英泉が23枚を描いた合作です。到着点の京都は描かれていません。 英泉の分は日本橋・板橋・蕨・浦和・大宮・上尾・桶川・鴻巣・熊谷・深谷・本庄・倉賀野・板鼻・沓掛・追分・岩村田・塩尻・奈良井・鳥居峠(藪原)・野尻・馬籠・鵜沼・合渡の23枚です。

査定で知っておきたいのは、烏水が指摘する番号の乱れです。鳥居本は前の宿の番場と同じ第63で第64が無く、越知川に続く武佐も同じ第66で第67が無く、草津と追分がともに第69です。英泉が署名を忘れた図もあり、題は「木曾街道」ではなく「木曾海道」と書かれています。 番号が飛んでいても揃物が欠けているとは限らず、署名が無くても英泉の図である場合があります。

広重より前の東海道(北斎・豊広)

烏水は章の終わりに、広重に先立って東海道の画集を出した人として、師の歌川豊広と葛飾北斎の二人を挙げています。烏水が見た北斎のものは小形の画集で、寛政10・11年(1798・1799)に西村屋与八が板行したもの、豊広のものも同じくらい小形で、紫を主色にして紅を避けた「紫絵」で摺られています。 いずれも旅人を主にして風景は少なく、当時はまだ風景画が独立した分野になっていなかったことが分かります。広重以外の「東海道」の版画が出てきたときは、この二人のものである可能性も考えます。

査定での見方

当店では、広重の東海道を次の順で見ます。(1)絵の向きと判型で横絵・中判・立絵を分ける。(2)題字の書体(隷書・行書)と版元印で版を特定する。(3)改印の有無と種類で出版時期を絞る。(4)線の硬さ・色の重なり・紙で、初摺か後摺か、改刻や復刻でないかを見る。 当店の広重の買取価格の目安は¥2,000〜¥170,000で、版と状態によってこの幅の中で変わります。揃いで残っている場合は、1枚ずつでなくまとめてお送りください。

どの版か分からなくても、写真で判定します

絵の全体と、題字・版元印・改印のある隅の写真を送っていただければ、どの版か、初摺に近いか、買取の目安を査定担当が確認してお返事します。額に入ったままでも構いません。

査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。

広重の東海道の版に関するよくある質問

Q

「東海道五十三次」と書いてあれば保永堂版ですか?

A

いいえ。広重の東海道は版元の違う揃物が何種類もあります。保永堂版は横長の絵(横絵)55枚です。題の「東海道」の三字が隷書なら丸清板の隷書東海道、「東海道五十三次」が行書風の字体で中判なら江崎板の行書東海道、縦長の絵(立絵)なら蔦屋板の東海道五十三次名所図会です。題字の書体・絵の向き・判型・版元印の4点で、まず版を分けます。

Q

保永堂版なら必ず高く買い取ってもらえますか?

A

版だけでは決まりません。小島烏水は1914年の時点で、保永堂版の中に全く改刻した別の画面が後から交じっていると書いています。同じ保永堂版でも初摺と後摺、改刻版、明治以降の復刻で評価は分かれます。当店の広重の買取価格の目安は¥2,000〜¥170,000で、この幅の中で紙・摺り・版元印を見て判断します。

Q

隷書東海道の出版時期は分かりますか?

A

烏水は、隷書東海道には検閲官吏の押印(改印)があることから、少なくとも天保13年(1842)以後の作だと書いています。改印の種類から出版時期をさらに絞る方法は、改印の記事で早見表にしています。

Q

木曾街道六十九次の番号が飛んでいるのは欠けているからですか?

A

必ずしもそうではありません。烏水によれば、この揃物は鳥居本が前の番場と同じ第63で第64が無く、武佐が越知川と同じ第66で第67が無く、草津と追分が第69で重複しています。番号の欠けは版元の付け方によるもので、作品が失われたことを意味しません。

この記事について

版画買取.com(大阪府公安委員会許可 第62224R085831号)の査定担当が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている小島烏水の著作をもとに、実際の査定で確認している点を加えて執筆しました。当店は浮世絵・新版画を英国のオークションハウスに委託販売しており、海外市場の評価も踏まえて査定しています。広重の買取については歌川広重の版画買取をご覧ください。

出典:小島烏水『浮世絵と風景画』前川文栄閣、1914年、「東海道五十三次」「木曾街道六十九次」(国立国会図書館デジタルコレクション 68〜72コマ)、附表「広重作品板元一覧」(同 276〜278コマ)。版の評価は1914年時点の烏水の意見であり、当店の査定額を保証するものではありません。

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