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江戸の浮世絵版画は、墨一色の摺りから筆で色を塗る段階を経て、色版を重ねる紅摺絵、そして明和の錦絵へと進みました。美術史家の藤懸静也が『浮世絵』(1946年)で整理した各段階の色の付け方・材料・時期・大きさを早見表にし、お手元の古い版画がどの段階のものかを見分ける手順と、査定で何を見るかをまとめました。
結論
浮世絵版画は墨摺絵(墨一色)→丹絵(丹を筆で塗る)→紅絵・漆絵(紅や藍を筆で塗り、膠で光らせる)→紅摺絵(色版で2〜3色を摺る)→錦絵(多色摺り)の順に発達しました。藤懸静也によれば、墨摺絵と丹絵は天和・貞享(1681〜1688)から正徳(1716)まで、紅絵・漆絵は享保(1716〜)から寛保(〜1744)まで、紅摺絵は寛保4年=延享元年(1744)頃に市販が始まり、錦絵は明和元年(1764)を境に生まれました。見分けの決め手は、色が筆塗りか版摺りか、色が原色のままか混色か、紙が仙花紙・柾紙か奉書紙か、判型が細判か中判・大判かの4点です。
古い版画の技法と時期を、写真で判定します
絵の全体と、色の付いた部分の拡大、紙の裏面の写真を送っていただければ、筆彩色か色摺か、どの時期の技法か、買取の目安を査定担当が確認してお返事します。額に入ったままでも構いません。
査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。
この記事の内容
出典は、藤懸静也『浮世絵』(雄山閣、1946年)の「藝術版画の興隆」「色摺版画の創始」「奥村政信と版画の展開」「錦絵」の各章です。藤懸静也(1881–1958)は東京帝国大学で日本美術史を講じた研究者で、同書は浮世絵の歴史を通観した概説書です。 原本は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます(55〜58コマ、78〜80コマ、87〜88コマ)。藤懸静也の著作は日本では著作権の保護期間が満了しています。 年号の西暦は当店で付けました。寸法のcmは1寸=約3.03cmで換算しています。
| 種類 | 色の付け方 | 主な色・材料 | 行われた時期(藤懸の整理) | 大きさ・紙 | 主な作者 |
|---|---|---|---|---|---|
| 墨摺絵 | 墨一色の版摺り | 墨 | 江戸初期。天和・貞享(1681〜1688)頃から | 後世のものより大きく、寸法は一定しない。大判が多い | 菱川師宣とその一門、鳥居清信・清倍 |
| 丹絵 | 墨摺りの上に筆で彩色 | 丹(赤橙)・草の汁・くちなしの汁の3色が基本。後に藍・紅も | 元禄頃(1688〜)から宝永・正徳(〜1716)まで | 大判丹絵は約36〜39×27〜29cm、細判丹絵は約30×15cm。大判は紙を2枚継ぐ | 師宣一派、鳥居清信・清倍、奥村政信、西村重長、羽川珍重 |
| 紅絵 | 筆で彩色(丹絵より精巧) | 紅・黄・藍・緑。銅粉で金色。膠を多く使い光沢がある | 享保頃(1716〜)から寛保・延享(〜1748)頃まで | 細判・巾広細判が多い。柱絵や幟絵の大きいものも | 鳥居清信・清倍・清忠・清朝、奥村政信・利信、西村重信・重長、石川豊信 |
| 漆絵 | 紅絵の一変化。筆で彩色 | 帯や着物の一部に濃い膠入りの墨で漆のような黒。金粉も | 紅絵と同じ | 紅絵と同じ | 紅絵と同じ。近藤勝信、勝川輝重、岸川勝政も |
| 紅摺絵 | 色版を重ねて摺る(4〜5枚の色版) | 紅・黄・草色・藍を原色のまま。初めは2〜3色、後に4〜5色 | 享保の半ば頃に発明。寛保4年=延享元年(1744)頃から市販 | 細判(約30×15cm)が最も多い。紙は仙花紙・柾紙が多い | 前期:二代清信・二代清倍・政信・重長・豊信。後期:鳥居清満・清広・清経 |
| 錦絵 | 多色摺り | 混色で鼠色・空色・茶色などを作る | 明和元年(1764)を境界。明和2年(1765)の絵暦から | 初期は正方形に近い中判(約26×19cm)が主。紙は奉書紙 | 鈴木春信ほか |
藤懸は、墨摺から紅摺絵の製作に至るまでを約60年と数え、墨摺・丹絵の時代が天和・貞享から正徳までの30余年、紅絵・漆絵から紅摺絵までが享保頃から寛保年間までの20余年としています。 元禄から約70年後の明和に、鈴木春信らの錦絵が生まれ、さらに20年で錦絵の最盛期を迎えたと藤懸は書いています。
江戸初期の浮世絵版画は墨一色の摺りで、一枚だけで鑑賞できる版画を「一枚絵」と呼びます。菱川師宣が墨摺版画に大きな進歩をもたらし、演劇・遊里・風俗を描いた一枚絵を多く作りましたが、作者の署名がなく、筆者を確かめにくいものが多いと藤懸は書いています。 当時はまだ版木で色を摺る方法がなく、下絵の線はわざと太く簡略に描かれました。初期の版画は後世のものより大きく、掛物・巻物・画帖・貼交などに使われ、寸法は一定していません。
丹絵は、墨摺りの一枚絵に筆で色を塗ったものです。費用を抑えるため、丹と草の汁とくちなしの汁を手早く塗るだけの簡単な彩色で、後には藍や紅を加えたものもありますが、丹が主調です。実物とは似ても似つかぬ色でも、画面上の配色は面白いと藤懸は評しています。 行われたのは元禄頃から宝永・正徳年間までで、作者は師宣一派、鳥居清信・清倍、奥村政信、西村重長、羽川珍重らです。師宣と伝えられる無落款の丹絵には筆者を定めにくいものが多くあります。
大判の丹絵は、仙花紙のような紙を2枚継いで作られ、下から4〜5寸(約12〜15cm)のところに継ぎ目があります。横絵では中央で継いだものもあります。題材は美人や遊女のほか、浄瑠璃に関係する図が多く、公平(きんぴら)や四天王の武勇を太く強い線で描いたものが今も残っています。 継ぎ目の位置は、査定で丹絵かどうかを見るときの手がかりの一つです。
紅絵は丹絵の後を受けた筆彩色の版画で、紅・黄・藍・緑などを使い、銅粉で金色を出したものもあります。顔料に膠を多く使っているため、一種の光沢があります。 注意したいのは名称です。藤懸によれば、次の時期に色版で摺った版画も当時は「紅絵」と呼ばれていました。そこで現在では、筆彩色のものを紅絵、色版で摺ったものを紅摺絵と呼び分けています。
漆絵は紅絵の一変化で、女性の帯や着物の一部など目を引く部分に濃い墨を使い、膠を加えて漆を塗ったような光沢を出したものです。他の色もそれに合わせて濃く塗られ、後には金粉も使われました。芝居が盛んになり、役者絵が観劇の土産として喜ばれた時期の様式です。 藤懸は、今日見ると墨だけが濃く残って画面の調和を欠くものがあるが、それは年月で他の色が褪せ、墨の色だけ変わらないためだと説明し、褪色した絵は作られた当初の色に復元して考える必要があると述べています。
紅摺絵は、筆ではなく色版に絵具を塗って摺り重ねた最初の色摺版画です。紅・緑・黄が主で、4〜5枚ほどの色版で摺り上げます。色を3度4度重ねても食い違わないよう、版木の端に小さな目印を付けて紙を当てる「見当」が発明されて、色摺が巧みにできるようになりました。 丹絵の時代に比べると線はやや細くなりましたが、配色は簡単で、彫りも摺りもまだ幼い段階です。
色摺の起源には諸説あります。曲亭馬琴は明和2年に板木師金六が見当を工夫したと書きましたが、藤懸はそれを錦絵の創始のことであり、色摺はそれ以前に発明されていたとして退けています。藤懸が最も信頼するのは太田南畝(蜀山人)『一話一言』の、見当は延享元年(1744)に江見屋の上村という人物が工夫し、今も見当のことを「上村」と呼ぶという説です。 根拠は、鳥居清倍の紅摺絵で寛保4年(=延享元年、1744)と明記した絵暦が現存することです。絵暦は年始に売り出すものなので前年の寛保3年に作られたはずで、色摺の技術はそれ以前に発明され、この頃から市中に売り出されたと藤懸は整理しています。なお実際には、享保の半ば頃にはすでに色摺版画が作られていたとも書いています。
大きさは縦約1尺、幅5寸(約30×15cm)の細判が最も多く、大判紅摺絵(約39×29cm)もありますが少数です。色版を何枚も重ねる技術が未熟で、大きな画面を作るのが難しかったためです。細判の三幅対は、3図を続けて摺ってから切り放したもので、今も3図続きのまま残っているものがあります。 顔料は紅・黄・草色・藍を原色のまま使い、複雑な色は出していません。紅も藍も今では褪色して一見黄色に見えるものがありますが、細かく見れば元の色が分かります。紙は仙花紙や柾紙が多く、勤倹の風潮のため漆絵より紙質は劣ります。 作者は、前期(2〜3色摺)が鳥居二代清信・二代清倍、奥村政信、西村重長、石川豊信、後期(4〜5色摺)が鳥居清満・清広・清経です。鈴木春信や北尾重政も初期には紅摺絵を作っています。奥村政信は版元(通油町の奥村屋源六)を兼ねた絵師で、紅摺絵を盛んにした功績が大きいと藤懸は評価しています。
色摺が進んで紅摺絵より美しくなったものを錦絵と呼びます。錦のように美しいという意味で、藤懸は明和元年(1764)を紅摺絵と錦絵の境界線と見ています。 紅摺絵が単純な原色であるのに対し、錦絵は唐土(とうのつち)と淡墨で鼠色を、藍で空色を、草と紅で茶色を作るなど、色を混ぜて複雑な色を出します。形も、紅摺絵が細判主体であるのに対し、春信時代の錦絵は正方形に近い中判が盛んに用いられ、紙も奉書紙が使われました。
錦絵誕生の背景として藤懸が重視するのが、明和2年(1765)の絵暦(摺物)の流行です。好事家が年始の配り物として作った絵暦は売り物ではないため費用を惜しまず、当時の色摺としては精巧なものが作られました。絵暦には干支にちなんだ意匠と、その年の月の大小が字探し風に画中に書き込まれています。 春信の錦絵に見える「巨川工」の文字は彫師ではなく考案者の名で、注文主の数寄者を指すと藤懸は解釈しています。蜀山人の狂詩「忽自吾妻錦絵移、一枚紅絵不沽時」は、錦絵が出ると紅絵が売れなくなった当時の様子を伝えています。 鈴木春信の作品と買取については鈴木春信の版画買取をご覧ください。
当店では、錦絵より前の版画を次の順で見ます。(1)色が筆塗りか版摺りか。筆塗りなら丹絵・紅絵・漆絵、版摺りなら紅摺絵以降です。(2)色が原色のままか混色か、紙が仙花紙・柾紙か奉書紙か。(3)判型。細判なら紅摺絵、中判なら春信期の錦絵の可能性が高まります(寸法は判型とサイズ一覧)。(4)褪色を当初の色に戻して考え、墨だけ濃く残っていないか。 この時期の版画は現存数が少なく、明治以降の複製や、後に筆で色を足したものも流通しています。木版画と印刷物の違いとあわせて確認します。浮世絵の買取価格の目安は¥2,000〜¥540,000です。
古い版画の技法と時期を、写真で判定します
絵の全体と、色の付いた部分の拡大、紙の裏面の写真を送っていただければ、筆彩色か色摺か、どの時期の技法か、買取の目安を査定担当が確認してお返事します。額に入ったままでも構いません。
査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。
紅摺絵と錦絵はどこで見分けますか?
藤懸静也によれば、紅摺絵は紅・黄・草色・藍を原色のまま2〜3色(後に4〜5色)で摺り、紙は仙花紙や柾紙が多く、細判(約30×15cm)が主です。錦絵は色を混ぜて鼠色・空色・茶色などを作り、紙は奉書紙で、初期は正方形に近い中判が主です。色の混ざり方と紙質、判型の3点を見ます。
紅摺絵の紅が黄色っぽく見えるのですが、別の色ですか?
紅摺絵の紅や藍は褪色して、一見すると黄色に見えるものがあると藤懸は書いています。細かく見れば元の色が紅か藍かは分かります。査定では、褪せた色をそのまま評価せず、作られた当初の色に戻して考えます。
丹絵や漆絵は買取の対象になりますか?
対象です。丹絵・紅絵・漆絵は錦絵より前の筆彩色の版画で、現存数が少ない分野です。ただし、明治以降に作られた複製や、後の時代に筆で色を足したものも流通しています。紙質・線の太さ・色の材料を確認して判断しますので、まず写真をお送りください。
錦絵は明和2年(1765)より前には無いのですか?
藤懸は、曲亭馬琴が明和2年としたのは錦絵の創始であり、色摺の技術そのものは寛保4年(1744)以前に発明されていたと整理しています。鳥居清倍の紅摺絵に寛保4年と明記した絵暦が現存するためです。そのうえで藤懸は、明和元年(1764)を紅摺絵と錦絵の境界とし、明和2年に絵暦(摺物)が盛んに作られたことが錦絵を生む大きな原因の一つになったとしています。