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渓斎英泉の錦絵は、落款の字から初期の作か、門人の作かを絞れます。「英」の字で始まる絵師は同時代に多く、号が重なる門人もいます。1931年に井上和雄が『浮世絵師伝』にまとめた英泉と「英」の絵師の項を、査定で見る点を加えて整理しました。
結論
『浮世絵師伝』によると、英泉は寛政2年(1790年)生まれ、嘉永元年(1848年)7月22日没(59歳)です。英泉の画名はおよそ文化6年(1809年)頃からで、当初は「菊川英泉筆」とした例があります。文化5年頃の「渓斎小泉」は前名か臨時の名とみられます。号は渓斎・涇斎・无名翁・国春楼・北亭・楓川市隠のほか、春画の淫斎白水、戯作の一筆庵可候です。「一筆庵」は門人の英寿も使った号で、英寿の作画期は安政まで続くため、英泉本人とは限りません。「英」で始まる落款には、英泉の門人のほか菊川英山の門人もいます。
落款が読めなくても、写真で作者と相場を確認します
作品全体と、落款・改印に寄った写真を送っていただければ、作者と出版時期の見当、買取の目安を査定担当が確認してお返事します。掛物絵の1枚だけでも、揃物の一部だけでも構いません。
査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。
出典は、井上和雄編『浮世絵師伝』(渡辺版画店、1931年)の「英泉」の項と、その前後に並ぶ「英」の字で始まる絵師の項です。同書は浮世絵師を五十音順に並べた人名辞典です。原本は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます(英泉は54〜55コマ、「英」の絵師は53〜55コマ)。井上和雄(1946年没)の著作は日本では著作権の保護期間が満了しています。 同書は英泉の項を、英泉の自伝(『続浮世絵類考』所載)などを参考に書いたと記しています。本文の西暦は当店が補いました。
同書によると、英泉は寛政2年(1790年)に江戸の星ヶ岡で生まれました。父は池田茂晴で、書をよくした人です。母は英泉が6歳の時に亡くなり、文化の初めには父と継母の喪にあって、幼い妹3人を自分で養う身になりました。
幼い頃に狩野白珪斎の門に入って絵を学び、成長して仕官しましたが、讒言にあって浪人します。そこから絵で身を立てようと考え、菊川英山の父、英二の家に寄宿して初めて浮世絵を描きました。一時は狂言作者の篠田金治(二代目並木五瓶)の門人となって千代田才市と称し、土佐派に学んだこともあると同書は伝えています。
同書の見出しの画系は「狩野白珪斎及び菊川英山門人」、作画期は文化から嘉永です。姓は藤原、氏は池田、名は茂義で、後に義信と改めました。俗称は善次郎で、一時は里介と改めています。号は次のとおりです。
落款の読み方と撮り方は落款・印章から作家を調べる方法をご覧ください。
同書は、英泉の画名を使い始めたのはおよそ文化6年(1809年)頃とみています。当初の作品には「菊川英泉筆」とした例があります。師の英山の家系である菊川の姓を名乗った落款で、初期の手がかりになります。
また、文化5年(1808年)頃の洒落本2、3種の挿絵に「渓斎小泉」と落款したものがあり、同書はおそらく英泉の前名か臨時の名と解しています。「小泉」の字を見たら、英泉の初期作の可能性を確かめます。
同書は英泉の美人画を、実感の豊かさで非凡な名手と評しています。英泉の自伝は、遊女の姿を役者の芝居ぶりに似せず、その時代の姿を新しく描いたのは自分に始まると述べており、同書はこの点を特筆に値するとしています。先輩の北斎に私淑し、宋・明の古い絵を好んだとも記されています。
風景画にも傑作があるとして、同書は次の作品を挙げ、いずれも天保年間の作としています。
掛物絵は、大判を縦に2枚継いだ形式です。同書によると、師の英山が流行の端を開き、文化の頃から天保中期にかけて田舎への土産として大いに流行しました。判型は浮世絵の判型とサイズで解説しています。
『木曽街道六十九次』の英泉の図数は、同書では24図、小島烏水は23枚としています。広重の東海道の版の違いに烏水の数え方を載せています。藍摺については、同書は英泉が創案したという伝えを紹介していますが、烏水は北斎が先と推測しています。藍摺(藍絵)の浮世絵とはをご覧ください。
同書によると、中年以後の英泉は奔放で、酒量の多さが諸書に伝わっています。居所は次のように移りました。
没年月日と年齢には3説があります。嘉永元年(1848年)7月22日没・59歳(写本『戯作者小伝』)、同年8月16日没・57歳(『浮世絵師系伝』)、同年同月26日没・59歳(『浮世画百家伝』)です。斎藤荘逸楼が菩提所の過去帳を調べた結果が第1の説と一致したため、同書はこれに従っています。
「英」の字で始まる落款は、英泉本人とは限りません。同書の「エ」の部には、系統の違う絵師が並びます。
特に注意したいのが「一筆庵」です。英泉は一筆庵可候と号しましたが、門人の英寿も一筆庵と号しました。英寿の作画期は天保から安政で、初め泉寿といいます。英泉の没した嘉永元年より後の作に「一筆庵」とあれば、英泉本人ではありません。
なお、「エ」の部には鳥文斎栄之の門人も続きます。こちらは栄之の「栄」の字で、「英」とは別の系統です。
| 時期 | 出来事・落款(井上和雄の記述) |
|---|---|
| 寛政2年(1790年) | 江戸の星ヶ岡に生まれる |
| 文化5年(1808年)頃 | 洒落本の挿絵に「渓斎小泉」。前名か臨時の名と同書は解する |
| 文化6年(1809年)頃 | 英泉の画名を使い始める。当初は「菊川英泉筆」の例あり |
| 天保の初め頃 | 根津で若竹屋理助と称する |
| 天保4年(1833年) | 『无名翁随筆』(『続浮世絵類考』)を撰ぶ |
| 天保年間(1830〜44年) | 木曽街道六十九次、江戸八景、東都名所などの風景画 |
| 弘化2年(1845年) | 『楓川鎧之渡古跡考』 |
| 嘉永元年(1848年)7月22日 | 没、59歳(過去帳と一致する説) |
英泉の作品は、落款の字を1字ずつ確かめます。「菊川」の字、「小泉」の字、「英」の次の字、「一筆庵」の有無で、本人か門人か、初期か後期かの見当がつきます。年代は落款だけで決めず、改印と版元名を合わせて見ます。改印の読み方は浮世絵の改印の読み方をご覧ください。 掛物絵は2枚継ぎの形式のため、1枚だけの場合は上下どちらの図かも確認します。買取相場は渓斎英泉の版画買取をご覧ください。
落款が読めなくても、写真で作者と相場を確認します
作品全体と、落款・改印に寄った写真を送っていただければ、作者と出版時期の見当、買取の目安を査定担当が確認してお返事します。掛物絵の1枚だけでも、揃物の一部だけでも構いません。
査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。
「菊川英泉」の落款は、いつ頃の作品ですか?
井上和雄編『浮世絵師伝』によると、英泉の画名はおよそ文化6年(1809年)頃から使われ、当初の作品に「菊川英泉筆」とした例があります。初期の作品の手がかりになりますが、落款だけで年代を決めず、改印と版元名を合わせて確かめます。
「一筆庵」とある作品は英泉の作ですか?
英泉本人とは限りません。英泉は一筆庵可候と号しましたが、門人の英寿も一筆庵と号しています。英寿の作画期は天保から安政で、英泉の没した嘉永元年より後の作は英泉本人ではありません。
英泉の没年はいつですか?
没年は嘉永元年(1848年)で、月日と年齢に3説があります。『浮世絵師伝』は、過去帳の調査と一致した7月22日没・59歳の説に従っています。
「英」で始まる落款の作品も査定できますか?
可能です。英泉の門人や菊川英山の門人の作品も買取の対象です。落款が読めなくても、作品全体と落款に寄った写真をお送りいただければ確認します。