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写楽の役者絵の見分け方落款・判型・雲母摺で読む寛政6年〜7年の出版時期

東洲斎写楽の版画は、寛政6年(1794年)から翌7年にかけての短い期間に集中して出版されました。落款の形、判型、背景の摺り方は時期によって決まっていて、出版の前後関係を読む手がかりになります。1931年に井上和雄が『浮世絵師伝』にまとめた整理を、査定で見る点を加えて解説します。

公開:2026年11月3日 / 文:版画買取.com 査定担当

結論

『浮世絵師伝』によると、写楽の版画は寛政6年と7年の作で、版元は蔦屋重三郎(富士山形に蔦の印)の一軒に限られます。落款は「東洲斎写楽画」(寛政6年10月以前)と「写楽画」(同年11月以後〜7年)の2種類だけです。大判の雲母摺はすべて寛政6年、細判は背景が黄摺なら6年10月まで、黄地半身図の間判は7年の作です。市場に出る写楽の多くは近代以降の復刻版で、当店の買取実績も復刻版画集です。復刻版も買取の対象です。

本物か復刻か分からなくても、写真で確認します

作品全体と、落款・版元印に寄った写真を送っていただければ、出版時期と復刻版かどうかの判別、買取の目安を査定担当がお返事します。額に入ったままでも構いません。

査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。

資料について

出典は、井上和雄編『浮世絵師伝』(渡辺版画店、1931年)の「写楽」の項です。同書は浮世絵師を五十音順に並べた人名辞典で、新版画の版元である渡邊庄三郎の店から出版されました。原本は国立国会図書館デジタルコレクションで閲覧できます(89〜90コマ)。井上和雄(1946年没)の著作は日本では著作権の保護期間が満了しています。 同書の記述は1931年時点のもので、作品の点数や細かな分類はその後の研究で見直されている点があります。この記事では、同書で確認できる範囲の事実だけを使っています。

『浮世絵師伝』が記す写楽の素性

同書は写楽を、斎藤氏、俗称十郎兵衛、東洲斎と号し、阿波の蜂須賀侯お抱えの能役者で春藤流の家筋、江戸南八丁堀の蜂須賀邸の長屋に住んだと伝える、と記しています。 写本の『浮世絵類考』には、歌舞伎役者の似顔を描いたが、あまりに真を描こうとして「あらぬさま」になり、長く世に行われず一両年でやめた、とあります。別の写本には享和元年(1801年)に没したという書き入れがありますが、同書は鳥居龍蔵の調査として、蜂須賀邸の能番組に斎藤十郎兵衛が能「巴」のワキ役を勤めた記録が見つかり、その番組が文政8年(1825年)より後のものであることから、没年は文政8年以後だと述べています。項目の見出しには「歿 文政末或は天保頃」とあります。

作画期は寛政6年と7年

『浮世絵類考』の「一両年にして止む」という記述は、写楽の版画そのものから帰納的に推考した結果と一致し、実際には寛政6年(1794年)と7年(1795年)にあたる、と同書は述べています。 享和2年(1802年)正月に出版された式亭三馬の『稗史億説年代記』には、師宣以降の著名な絵師を地図に見立てた図があり、写楽は歌麿・北斎辰政と同じく海上の孤島として描かれています。同書はこれを、当時すでに写楽の技量が認められていた一つの証拠だとしています。

判型ごとの出版時期

同書は、写楽の版画を判型ごとに次のように整理しています。

雲母摺の大判の大首絵は、写楽の代表作として最もよく知られた形です。同書の整理に従えば、この形の作品は活動の最初期、寛政6年の出版にあたります。判型の寸法は浮世絵の判型とサイズ一覧をご覧ください。

落款は2種類だけ

大判・細判・間判のすべてを通じて、写楽の落款は「東洲斎写楽画」と「写楽画」の2種類以外にはない、と同書は記しています。使用時期は、前者が寛政6年10月以前、後者が同年11月以後から翌7年にかけてです。 落款の文字だけでなく、判型と背景の摺り方を合わせると、1枚の作品が活動のどの段階で出版されたかを絞り込めます。落款の撮り方は落款・印章から作家を調べる方法にまとめています。

版元は蔦屋重三郎のみ

同書が「版画の全作品に終始一貫するもの」として挙げるのが、版元を一軒に限っている点です。版元は富士山形に蔦の印を用いた蔦屋重三郎(通油町)で、当時の同業の中で一流の店でした。 つまり、江戸時代の摺りであれば余白に蔦屋の印があるはずで、別の版元名や近代の出版社名が入っているものは後世の復刻版と考えられます。寛政年間の錦絵には「極」の改印が入ることが多く、改印の見方は浮世絵の改印で年代を読むで解説しています。

役者絵以外の作品と肉筆

役者絵のほかに、同書は大童山文五郎の図(2種)、夜討曽我、紅葉狩(黄地の間判)、恵比須(大黒と2図か)を挙げています。版下には役者絵と相撲絵があり、どちらも未刊のままだったとあります。 肉筆で確証のある唯一の作品とされていた市川鰕蔵(五代目団十郎)の「暫」は、大正12年(1923年)の関東大震災で焼失しました。ほかに無落款で写楽の肉筆とされる俳優似顔の半身図(間判、版画の下絵)約10図が入札会に出たことがある、とも記されています。 欧米では早くから写楽の似顔絵が模範的な肖像画として推賞され、ドイツのクルトが1910年に挿絵入りの単行本『写楽』を公表したのが、世界への写楽紹介の先駆けだとしています。海外での日本版画の評価については日本の版画が海外で高く評価される理由をご覧ください。

早見表

判型・摺り図の形出版時期(井上和雄の整理)落款
大判 黒雲母半身図(例外として全身図1図)寛政6年(1794年)東洲斎写楽画
大判 白雲母全身図のみ寛政6年東洲斎写楽画
細判 背景黄摺全身図。三枚続または五枚続寛政6年10月まで東洲斎写楽画
細判 背景あり・地は無色全身図。三枚続または五枚続寛政6年11月〜7年写楽画
間判 黄地半身図。替え紋・家号・俳名入り寛政7年(1795年)写楽画
版元全作品が蔦屋重三郎(富士山形に蔦の印、通油町)

落款の使用時期(寛政6年10月を境に切り替わる)と判型ごとの時期は、同書に別々に記されています。表の落款欄は、この2つを突き合わせて当店が整理したものです。

復刻版との見分け方

写楽の寛政期の摺りは現存数が少なく、市場で見かける写楽の大半は、明治以降に版木を彫り直した復刻版です。復刻版は雲母の背景や蔦屋の印まで再現していることがあるため、雲母や版元印があるだけでは本物とは言えません。当店では、紙の質と厚み、輪郭線の彫り、色の重なり、裏面の摺り跡を合わせて確認します。見分けの手順は浮世絵の見分け方(本物・後摺・復刻・印刷)にまとめています。 復刻版も買取の対象です。共箱や解説冊子の揃った版画集は、復刻版でも価格がつきます。実例は復刻木版画の買取をご覧ください。

本物か復刻か分からなくても、写真で確認します

作品全体と、落款・版元印に寄った写真を送っていただければ、出版時期と復刻版かどうかの判別、買取の目安を査定担当がお返事します。額に入ったままでも構いません。

査定料・相談料は無料です。売るかどうかは査定額を見てからお決めください。お断りいただいても費用はかかりません。

写楽の版画に関するよくある質問

Q

雲母摺(きらずり)の写楽があります。本物ですか?

A

雲母の背景は、近代以降の復刻版でも再現されています。雲母があることだけでは寛政6年の摺りとは言えません。紙の質と厚み、輪郭線の彫り、色の重なり、余白の版元印を写真で確認して判断します。

Q

落款が「写楽画」だけで「東洲斎」がありません。偽物ですか?

A

偽物とは限りません。井上和雄編『浮世絵師伝』によると、写楽の落款は「東洲斎写楽画」と「写楽画」の2種類で、「写楽画」は寛政6年11月以後から翌7年にかけて使われました。細判や間判の作品に多い形です。

Q

蔦屋以外の版元印がある写楽はありますか?

A

『浮世絵師伝』は、写楽の版画は全作品を通じて版元が蔦屋重三郎(富士山形に蔦の印)の一軒に限られると記しています。別の版元名や近代の出版社名がある場合は、後世の復刻版と考えられます。復刻版も買取の対象です。

Q

写楽の復刻版画集はいくらになりますか?

A

枚数、共箱や解説冊子の有無、摺りの状態で変わります。当店の買取実績ページに復刻版画集の例を載せています。写真を送っていただければ、復刻版かどうかの判別も含めて無料で査定します。

この記事について

版画買取.com(大阪府公安委員会許可 第62224R085831号)の査定担当が、国立国会図書館デジタルコレクションで公開されている井上和雄編『浮世絵師伝』を読み、実際の査定で確認している点を加えて執筆しました。当店は浮世絵・新版画を英国のオークションハウスに委託販売しており、海外市場の評価も踏まえて査定しています。東洲斎写楽の買取相場は東洲斎写楽の版画買取をご覧ください。

出典:井上和雄編『浮世絵師伝』渡辺版画店、1931年、「写楽」の項(国立国会図書館デジタルコレクション 89〜90コマ)。判型ごとの時期と落款の区分は同書の記述によります。

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